「ご飯はまだですか?」
今日のお話は、最近は聞くことが少なくなってきた現象です。
特にアルツハイマー型認知症の患者さんで在宅の時によく相談された話です。
昔は専業主婦の方が結構多くいらっしゃいました。
認知症についてもよく知られておらず、「家族に認知症が出るなんて家の恥だ」、「うちの家系に限って認知症など出ない」(皆さん、笑うでしょうが、昔は時々こう話すご家族がいました)などの考えを持つ人が多かったためか、自宅で療養させようと限界を超えるまで頑張るご家族も多かったように思います。
その場合、苦労するのはお嫁さん(例、長男の妻)でした。
それでも必死にお舅さんあるいはお姑さんの面倒を見ようと頑張る毎日の中で我慢しきれなくなる現象の一つが、この「ご飯まだですか?」です。
食事の準備が遅れている時には催促されるのは普通です。
しかし、この場合は、例えば、12時に昼食を準備し、認知症のご本人が全部それをたいらげた後、午後2時ごろになって、昼食を出してくれと要求されるのです。
当然、お嫁さんは「さっき、食べました」と説明しますが、納得しません。
頑として食べていないと言い張ります。
お嫁さんは「忘れたのだろう」とより詳しく説明しますが、やはり納得しません。
押し問答が続くうち、お嫁さんも疲れてくるので声がとんがってきます。
そうすると、他のことでは万事、あやふやになっているご本人は敏感にそれを察知し、怒り出します。
この後は喧嘩別れをするパターン、お嫁さんが妥協して2回目の昼食を提供するパターンなど色々な展開となります。
そして、昼食でもめた具体的ないきさつは忘れてしまいますが、ご本人の心の中には「嫁に意地悪された」という思いのみが残ります。
そのうちに嫁いで離れて暮らす娘から電話がかかってくると、ご本人は涙ながらに「自分は最近、体が弱ってきて不自由になってきた。
嫁が底意地の悪い本性を表して毎日、自分に意地悪をする」と訴えます。
それを聞いた娘はカーッときて、急いで故郷で暮らす兄夫婦宅へ駆けつけます。
兄夫婦は認知症の疑いがあると説明するので、娘がご本人と会うと元気なようで認知症らしさは全く見えず(アルツハイマー型認知症は初期には取り繕い(とりつくろい)が上手なので、初めから疑っていないと1-2時間話したくらいではわからない事がざらにあります)、自分がどんなにいじめられているかを涙ながらに語ります。
娘は(今と違って認知症の知識が普及していなかったので)「兄嫁が(多くは)母をいじめている」と直感します。
しかし、兄宅ではぐっと我慢してなにも言わず、来訪した翌日には嫁ぎ先へ帰ります。
数日間はじっと我慢していますが、とうとう、堪忍袋の緒が切れて(古い表現ですね)、兄へ怒鳴り込みの電話をかけ、壮絶な兄弟げんかが始まります。
何か、三流のお芝居の台本のようですが、実際、このようなごたごたは時々起きました。
さて、昔話はこれくらいにして認知症の症状のご説明に移ります。
初めは昼食をとった後、2時間しか経っておらず、空腹の訳がないのになぜ、昼食を食べていないから出すようにと催促するかです。
これは認知症特有の記憶障害と関係します。
認知症の記憶障害の特徴は記憶が根こそぎ、消失する点にあります。
健康な人のもの忘れは大部分を忘れていてもかすかな痕跡は残り、指摘されればある程度思い出す事が出来ます。
ところが、認知症の場合は完全消去の状態にあるので、いくら思い出そうとしても全く記憶は浮かんできません。
記憶が全く無い以上、ご本人は「(記録は無いので)私はそれを体験していない」と判断します。昼食の記憶が全て消去されてしまえば、昼食はまだ食べていないことになります。
ご家族がこのような情報を知らない場合はご紹介したようなバトルに発展していくのです。
更に、先ほど触れたようにアルツハイマー型認知症では初期には取り繕いが上手な事が多いので、短時間会っただけでは見破れないことも多くあります。
それが話に加わるとご紹介したような大悲劇の幕開けとなるのです。
現代は認知症が多発し、認知症に関する情報もかなり普及しているので、このような混乱も生じにくくなりました。
日本では認知症の問題はまだまだ長く続くことでしょう。
認知症に関する知識がより一層、行きわたることを期待して今回のお話を終えます。