「嫉妬妄想」について考える

認知症の患者さんで時折見かける妄想に嫉妬妄想があります。
「え、そんなことあるんですか」と驚かれる方もいらっしゃると思います。
少数ですが、いらっしゃいます。89歳の高齢男性が「妻のところに毎晩、男が忍んで来る」と激怒する。
妻は84歳である。
これだけを聞くと、笑い話じゃないのと苦笑する方が多いと思いますが、事態は案外深刻です。
激怒のあまり、奥さんを殴るけるして大騒ぎになることもあります。
実際の夫婦間の不貞は医療とは無関係ですが、このような場合、認知症に基づく嫉妬妄想が考えられ、医療の出番となります。

それでは、なぜ、このような現象が生じるのでしょうか。
正確にはわかりませんが、嫉妬妄想に関しては、以下のような見方も成立しうるのではないでしょうか。

認知症でなくても高齢になるという事は、「人生で得てきたものを少しずつ、失っていくことだ」、このような一面があると思います。
心身の能力、社会的地位、安定した健康、経済的能力・・・。認知症の初期には、失敗の増加による能力低下をうっすらと自覚する場合がありますが、その場合、色々な面に対して「失う事への不安」がより高まります。
その一つとして対人関係に対する不安も起きるのでは無いでしょうか。
絶対に失いたくない人間関係は最も身近で頼りになるパートナー、配偶者でしょう。
自分の容貌、心身能力、経済力、家事管理能力・・・の衰えを感じたとき、それにより、妻(夫)から見捨てられるのでは無いか、そのような不安が生じても不思議では無いと思います。
ここまでは健康な高齢者でも十分に起こりうる話だと思います。しかし、ここからが病的となる話です。
健康な場合は「自分が不安に感じている」と自覚していますが、認知症になり、判断力その他が衰えると、不安に関する認識が「跳躍」し、「相手が自分を不安にさせる言動をとっているので自分は不安になる」という誤った認識が生じるのではないでしょうか。
つまり、「私は見捨てられるかもしれない」という自分が感じている事が、「相手が自分を見捨てようとしているので自分は不安になる」というように病的な加工が起きてしまうのでは無いでしょうか。
そうすると、夫婦間の愛情は本来、性愛としての一面を持ちますので、相手が見捨てようとしているのは別の異性関係が出来たのだろうという邪推につながりうるわけです。
その結果、事実を相手に問いただすと、当然、相手は否定します。
しかし、それを受け入れることなく、隠していると誤認し、更に強く問いただします。相手は強く否定します。
それがひどくなると暴力沙汰にまでなりえます。このような心理的流れで「嫉妬妄想」が生じている、そう思える症例が時々あります。

それでは、どうすればよいのでしょうか。
答えは一つだと思います。
根本は不安から生じているとすれば、本人の邪推がばかげているといくら周りが否定しても事態は動きません。
不安が残っているからです。
本人なりの不安を探し、本人の不安を受け止め、安心できる環境を作り出すのが大切になるのでは無いでしょうか。
心理的働きかけで全てうまく行くとは限りません。
適切な薬物療法の併用が必要な場合が多いと思います。
しかし、その場合でも、心理的な流れに着目し、本人自身がどのように感じ、どのように考えたのかを中心に病院、家族など周りの人たちが協力しあって、治療方針を建てるのが大事では無いでしょうか。
うまく行かない場合は二人を引き離す必要が生じる場合もあるでしょうが・・・。