「年をとる」とわかること。そして認知症。

私は年をとってきて初めてわかった事がたくさんあります。
いちいち挙げればきりがありませんが、楽しいことはまずありません。

ただし、私は精神科医ですので、「年はとりたくない」とこぼし、毎日を過ごしながら、「高齢者の心理の本質は何か」などと考えたりします。
最近、自分なりに整理できたと思うことは「年をとる」ことに関して生じる心理の本質は「喪失」ではないかということです。

人生の中で最も充実していた時がいつかは自分でもよくわかりませんが、少なくとも今ではその時期は遠くに過ぎ去り、やがて訪れるであろう「死」をどのように迎えるのであろうと想像するのが当たり前になってきました。

「死」は最終的な生命の喪失ですが、その前に様々なものが少しずつ、あるいは突然失われていきます。
自分の両親の死、友人、知人の早すぎる死、職業上、家庭内の役割の大幅な縮小・喪失、心身能力の減退、経済力の低下、交友関係の縮小・・・、挙げているうちに気がめいってきたので、このあたりでやめておきます。

長すぎる前置きでしたが、認知症になる人のほとんどは高齢者ですので、上記のような高齢者一般の心理を多かれ少なかれ持ちながら暮らしているのではないでしょうか。
更に、記憶力の減退から始まり、社会的な手続き技術(電車・バスに乗る、役所で書類を作る、大きな契約をするなど)を失い、徐々に家庭内の生活技術も失っていく、自分の周りにあった、立場、人間関係、お金などを失っていくと同時に自分自身という存在すら失っていく、そう考えると、認知症の患者さんが不安に思い、困惑し、あせり、次々に出現する混乱に憤るのも無理のない話かもしれません。

認知症の患者さんの心理状態が心理学的な説明だけで説明できるとは思いません。
人の心は脳という土台の上に成り立っています。
土台の脳がじわじわと崩れて行けば若く健康だったころには考えられなかった異常心理、異常行動が生じるのはやむを得ないことでしょう。

しかし、認知症の患者さんの心理を脳が壊れたための異常と決めつける前に、その一部は、我々、健康な人間が持っている当然の心理が入り混じっているかもと想像してみることも大切なような気がします。
認知症の色々な患者さんと接していると、高齢になった人が当然感じるだろう心理-能力低下に伴う喪失感、寂しさ、不安を感じることが多くあります。
認知能力だけでなく、視力低下、聴力低下などによってコミュニケーション能力が低下し、「群衆の中の孤独」、「家族の中の孤独」に陥っているように思える人もいます。

こう考えると認知症の患者さんに対応するときの基本方針ははっきりと決まってくると思います。
それは、出来るだけ、安心してもらう。人と交わってもらい、つらい経験が続く中でもささやかな楽しみを提供する。
これらに尽きるのでは無いでしょうか。そんな事を考えながら、一日に一日分だけ老化が進行していく私です。